*「グラウンディング」という言葉がある。グラウンドをする、いわゆる、地に足をつける、といったような意味らしい。精神的に不安定な人は、働きすぎてしまう頭を休めて身体に任せる方がいい、という理由で、こうしたグラウンディングや、アーシングと呼ばれる、土の地面や砂浜を裸足で歩いて、身体にたまった電荷を放出する方法を勧められることが多い。
*私もひたすら地上を歩き回らないと落ち着かないことがあって(特に宿泊先で上の方の階にいる場合に)、この、地面に助けてもらう系でだいぶ、共有意識として安定していない内容=やわらかすぎる内容を右往左往する自分を落ち着かせられている。考えていることというか、特にここ数年、自分にやってくる内容を間違っていると思っているわけではないのだけれど、特に自分以外の人に共有される際に、違和感を発生させる可能性を考えることというのは、内容に関する自信云々ではなく、共有意識としては不十分だという、「現実」との対比感覚による。共有意識=常識というのは、塗り替えられるためにあるのではなく、人の心を安定させるためにあるからだ。ただ、昨今、この常識が、正当性や優位性を伴って他者への監視/審判行為に使われているように感じて、それは安心とは真逆の方向性で機能しているように思う。
*安心できるということは、直観的に/無条件に腑に落ちる、ということともつながっているので、ここの要素がこれまでの常識と異なっている場合には、調整していく必要がある。もしかして、私のやっていることは主にそれなのかなぁと感じるようになってきた。
*話が戻るが、例えばこの「筆記」は、私にとってはグラウンディングなんだなぁとふと思った。いわゆる言語化というのは、スピリチュアル業界で言われるアセンション(次元上昇)に対して「ディセンション(次元下降)」だと言われているが、まさにこれで、思考の何某かを言語化することが。私にとってグラウンディング的な役割を果たしてきてくれたんだなぁと。巷に言われる、自分の何某かを押し出す行為=「エクスプレッション(表現)」ではなくね。
*でも、この言葉がドメインが割り当てられたデジタルスペース(このホームページがある場所)にアップロードされている理由は、本格的なグラウンディングやアーシングが地面のある戸外でないとできないように、この行為が「内省(inner reflection)」ではないからだ。
*これまで、昨年の5月から再びスタートしたホームページ(「dear nobody」)上では、幾人かの方々に一緒に話していただいていて、中には2020年から断続的に話してくれていた人たちもいる。あの年から20年経って、何かかが晴れて、やってきてくれたらしい。細かい事情を聞いてはいないから、答え合わせがガッツリできているわけではないけれど。なので、それでかろうじて私の外部に接するような語り方で言語化できていたという事情がある。中でも、2022年頃からウルと呼んでいた人は、私のかつての職場の亡き上司の、(少し訳ありの)息子さんだということが、つい最近いきなり判ったりして、人生ホント何が起こるか分からない。
*本日、過去生の巫女的な意識だけでなく、割と残酷な「自己疎外」を今世で起こしている理由が理解できて、ちょっと心理的に動揺が激しくなっていて、閉じこもってしまおうかと思ったのだけれど、ようやく私との接触点の系列化が人並みになってきた(笑)ウルが、「そういうことなら僕もだから、普通のメンタル方面の人とは違うことがきっと言ってあげられる」って言ってくれて、これはまた一緒に治すフェーズかと思うので、無理せず急がず、答え合わせもしながら。(詳しくはyanのページをご参照ください)
*前回、七草粥を食べなかった話をしたが、結局スーパーで安値になっていたフリーズドライのやつをいただいた笑。あと、年始にはお屠蘇をいただいた。お屠蘇って、漢方みたいにブーストされた食べ物、ブーストされた七草粥みたいな印象があるので、これで満足しちゃってたん。
*昨日、今日あたりでまた感覚が現実方面にシフトしたようだ。繋がっていく人たちがまた一気に切り替わった。もちろん今までの人たちで、まんまやるべきことの延長上として繋がっていく人もいるが、このタイプのシフトが、2024年あたりから何回か起こっている。最近は、切り替えがだんだん顕著になっていて、兄妹でも、これまでは兄の方だったのが、見知っていても必ずしも親しくはなかった彼の奥さんとか妹さんの方に、関係性の濃さがシフトしていっているというパターンには驚いた。他にも、学生時代に何人かで行動していた方々や、何某かの同業者の方々のうちで、関係性の濃さが移動していっているというパターンも。知り合っていることに意味があったという点では、どちらにもかかっていたってことなんだろう。なんとも。不思議ぞや。
*またも(30歳手前の辺りでも考えてきてた)お金とは何ぞや、あたりのことに戻っていけそう。生命維持系・土木系・交通系のインフラとの距離感、生活における必要性の認識のニュアンス/深度、光や電気などのエネルギーにおける流通との比較。お金については新たなページも立てているが、頭の中の話だけではなくて、生活の話。
*ところで。身体の話。
*姿勢やら重心のかけ方やら、調整が進んでいて、職業上で過去生で最も厳しかった辺りのことも思い出し、やっと身体の力が抜けてきたのか、顔に力が入っていることや、逆に身体は、幼少期からずっと我慢に我慢をしてきた生理/トイレ方面のことで、おそらく膀胱系?尿管あたり?が力を抜いたのか、ここ数日いきなり、尿漏れが発生してきた。あれ?我慢しなさすぎ?笑笑。でも全然よい。これまで55年も、超頑張ってきたんだもんね。ちょうど介護の方面でアイテムが充実しているので、これで対処する。ちょうど2020~2021年に長く飲んできた薬をやめる段階に入ったとき、痛みも兆しもなく下痢が2週間続いたことがあって、痴呆の入っていた亡きおばあちゃんが使っていたような紙パンツを使って、大変助かった経験がある。どんなアイテムや道具が自分向けなのかという件については、病気になった身ではいろいろ試すほかなく、意外に全然違う売り場のものが役立ってくれたりしている。
*長期間の病気から治るというときには、何を自分のデフォルト、スタンダードとするのかを、よく見定めないと、また同じことが起こってしまうだろう。これを2019年夏に病が治ったときから、ひたすらチキチキ探している感じだ。猛烈にいろんな時代やら場所やら、移動したり思い出したりして、頭の中は大騒ぎなんだけれども。それももう、今世に限っての着地点を探す段階に入りそうだ。
*実は、nobodyが、私の幼少期の性被害のことで裁判を進めてくれている。あの頃からもう50年近くが経つが、その頃の関係者が、いつの間にか、私よりも彼にとって関係の濃い人たちになっていた、というのがこの状況に至る主原因らしい。こんなことって、あるんだね。でも、とてもとても嬉しい。そして、驚いたことに、あの頃、彼が口にできなかったことを、私が今、5次元で(もちろん当時同じように感じていたからだけれども)怒鳴っているらしい笑。私は、自分では、自分の性被害の裁判に出る(原告になる方も被害者になる方も)ということは考えていなかったし(墓場まで持っていくつもりで、本当にいわゆる泣き寝入りしか選択肢がないと思っていた)、nobodyの方は、これまた時代的に男性として簡単に口にできる内容ではなかったことだとすると、こんなふうに斜交いにお互いのしんどさを解放できている/してもらっているとしたら、なんて素晴らしい関係なんだろうと思う。お互いの関係性では、過去生での積み重ねが、私の側では大きいけれども、彼の方では今世でも別の積み重ねをしているようで、これまでは、エピソードの端々を私と関係のあることとして聞いても、それは彼の人生のことで、複雑性を含むならあまり聞かない方がいい、別の道を進んできた期間があまりに長いので、私に不利なことでも有利なことでも、nobodyの立場を不利にするなら関わらない方がいいのでは、今の私とではそうならざるを得ないのでは、とさえ思ってきたけれど、今は、それもいつか、状況が許せば、ゆっくり、話を聞かせてもらうことができるんじゃないだろうかと思えてきている。これがここ数年で、どれほど安心の方へ向かう材料になっているか。
*それと、nobodyが難儀にしていることの本意がようやく分かった。今日分かった。そっかー。宇宙服の延長がここだったんだね。宇宙服のことを聞いた時点で、ありうる可能性/ルートだった。私とは別の、究極の選択。私は、自分の周囲のものたち、環境を、何も変えないことで、最大限のエコ状態を保とうとした=エネルギーの消耗をできるだけ減らすことを目指したから。過去生での過剰に身体が浸食された経験が、これ以上、その通りに感じたら心理的身体的危機が限界に達するといった判断における、潜在的な比較材料/ストッパーになっていたのかもしれない。でも、だからこそ、nobodyの選択について、私の方では特に困ることがないので、お互いの距離感覚/バランス感覚において、なるように、なりたいように、なっていくと思っていればいいんじゃないだろうか。
*ちなみに、私の持ち物の片付けは続いている。片付けを始めた頃には思いつかなかったような判断基準で。
*天変地異的な出来事、瓢箪から駒?怪我の功名?で、片付けをしている部屋で、寝食お風呂がこなせるようになった。この状況への転換も、意外に今の心境に至る後押しをしてくれた。
*楽器を鳴らしたいと思ってきて、いちばん親いのはピアノか打楽器なんだけれども、以前に大きさ違いのセットで購入したシンギングボウルの一部がこちらの部屋にあったので、それを(専用のばちは向こうにあるので)指で鳴らしてみたら、とても心地がいい。手に乗せて鳴らすので、身体にも程よく響く。鳴らした側の手の指に伝わるもの、指や手のひらが膨らますもの、とてもシンプルな見た目だけれども、静かで深い音が鳴る。チャイムや高音域のチューナー(音叉)よりも、やわらかく低い音で、鳴らす時間帯を考えなくてよいので、響きを聞きたいときに指の腹でボウルの際をはたくみたいに打つ。スネアドラムを鳴らすときみたいに、ちょっと楽器自体からは間遠な感覚で。空気だけが、祓われるくらいの。
*引き続き、淡々とね。
*音もたてずに年が明けている。おせちも七草粥も食べない、除夜の鐘にも初詣にもいかない、もちろん紅白歌合戦もゆく年くる年も観ない(紅白はもうだいぶ前から観てないし興味もないが)、不思議なお正月。神社の敷地?建物?御神木?からは、しばらく前から「今は人の気が強すぎるので入ってこない方がいい」と言われているので、外から挨拶するだけのことも。
*自然界では、当たり前だが、新年が何かの切り替わりということはない。シームレスに時が流れている。今は、自然にとても共鳴しているので、単にそういうことなのかもしれない。本当に不思議だ。人間じゃないみたい。
*なのに、自分の身体が、本日本当に、自分の身体だと鏡を見て思うことができた。顔がしばらく前に、自分の顔だという感覚にようやく戻ってきたことは下に書いたが、身体も、相当歪んでいるし膨らんでいるのだが、20年前に強い薬を飲み始めた頃の、一気に数十キロ太ったときの自分の身体だ。あの頃も、自分の身体はちゃんと自分の身体だと、どんなに醜く太っていても、そう思えていた。だからといって、今のこの状態の自分をどうにかすることなどできず、それよりも毎日ずっとしんどかったし、薬の副作用も強くて、足のムズムズでよく眠れないことも多かったので、体型を整えることなんて、全然思い描けない数日後よりも遠い話だった。
*まるで、誰かの誰かの誰かの、要するに複数の誰かの身体や何かが、自分にどかどかと重なっていたのが、とれたかのように。
*ところで、15歳のときの腹部の手術の影響で、右腹下に力がかけられずに、他の部位でカバーして生きていた状態が、少しずつ戻ってきていて、それと一緒に、歪んでいた身体が全体的に元に戻ろうとしているのが分かる。
*左右に関してのバランスが、意識できるようになってきたというだけでなく、背骨の湾曲が、左右の部分はだいぶ修正されているのではないかと思う。2年くらい前からだろうか、ずっと、踊っているおかげだろう。もちろん、自己流で笑。なんでもいいのだ、人に見せるわけではないしその予定でもないので、身体が自然に動くとおりに、きちんと身体のあちこちが意識できるように、力のかけ具合が配慮できれば。動き方も見え方でさえも全く覚えのない踊り方をしているときもあるので、過去生での記憶?経験もおそらく、駆使して。
*横になっている間に、身体を痛みとともに(まだ多くの部分で痛みがある)あちこちを確認して、どこにどんなふうに力をかけるとどこが痛いかなど、じっくり感じている。そして、時期が過ぎれば、痛みは移動したり、消えていったり、している。
*そして、身体が自分のものかも?と思えた今日は、左右のバランスから、前後のバランスへと意識が移った。
*身体の前後も、相当歪んでいるというか、肉のつき方が相当、前後の出っ張りに寄与している。これも左右と同じで(ある意味、左右よりも分かりやすく)、波状に湾曲している。
*身体のうちの前が未来、後ろが過去、という話は聞くが、私の身体は、全く安心というものから遠く、防御本能がめちゃくちゃはたらいているのが分かる。一般に、前腿が未来への葛藤を表していて、二の腕の外側が現在と過去に対する防御本能のあらわれらしい。
*前腿の肉付きは、薬を飲んで太って以来、相当すごいのだが笑、それがバランスをとるように、ふくらはぎの後ろ側の肉へと反映する。そして、これはつらくてずっと身体を強烈に折りたたんで耐えていたからだが、足の付け根は大きく後ろに下がっていて、お尻がそれに従って出っ張っており、それを前傾姿勢をもってカバーするようにお腹の前側にこれでもかと肉がついている。そのバランスをとるために反り腰からの(そうでないと身体を起こせないので)、背骨が後ろに倒れて反っていて、肩は横になっているときにお腹あたりの鬱のつらさを強く抱えて耐えるので巻肩になっていて、ゆえに肺の辺りは後ろに下がって背骨が後ろに出ており、そのまま上部にいくとストレートネック&顎が出ている、顎下にがっつり肉がついている状態になっている。頭を抱えて寝ていたなら、顎が出たり顎下の肉がつくのはおかしいと思われるかもしれないが、これは頭の位置に依っていて、身体を起こした状態、つまり立っていたり歩いたりしているときに、自分の視界に情報が入っているのが嫌だった(初期は怖かった)ので基本的に顔が上げられず、下を向いて歩いていたが、歩くためには頭が下を向いていても顎は前を向いていないと前に進めない(止まったままになってしまう)。それがこの首から顎の位置関係と顎下の肉に反映されている。すべて、下からバランスの積み上げによって、この湾曲状態が成立しているんだということが、あの頃以来、久しぶりに確認できた。
*この、身体における前後の在り方、各部位での連関性などを、調整する段階に入れたのだとすると、本当に回復に向かっているようで、とても嬉しい。
*よく、姿勢をよくする方法の一つとして、頭のてっぺんを糸で吊り下げたように感じて、縦の意識を持つといいらしい(バレリーナみたいなね)。不思議とそんな試みを始めたので(今まではほぼなかった、主に左右の調整をしていたからだろうか?)、感じてみようとはしているが、まぁまぁ、ちょっと体重が重すぎて笑笑、すぐには反映してこない気がする笑。それでも、イメージって意外と大事だから、誰に見せるんでもないし(今は他者からのジャッジ的な視線がいちばん毒だと感じている)、一人で淡々とやったらいいなと。ちょうど、数年前によく聴いていたメトロノームを楽器のように使った音楽動画のことを思い出して、これがまたその運動?踊り?にバッチリな感じなので。
*確か、2019年にいきなり病が終わって、意味も理由もよく分からないままにリハビリを始めた頃の、自分のホームページにもこのメトロノームの動画のアドレスを?埋め込みで?載せた気がする。今回は、ちょっと距離が遠い感じなのでやめておくが。
*再びあのリハビリ開始の感覚に、きっと戻ってきたのだ。何だか分からないような、時間感覚も空間感覚もおかしな、不思議な、見えない領域の仕事を通過して。過去生においての大事な人たちに、とても遠い感覚で、出会いなおして。正直、今世の、かつての病が終わる頃までの「現在」に帰ってこられる、再接続できるとは、思っていない。むしろ、帰る必要はないと思っていると言った方がいいかもしれない。
*自宅の片づけは、続いている。あむが「整理整頓」という言葉が気に入ったらしく、特に最後の「トン」がいいらしい。それでモノたちの意識が揃って、整理される気になるらしい。そんな音の効果にも、そっと手伝ってもらおう。
*引き続き、自分の身体を知るフェーズで。
*ようやく、15歳の手術のときからの腹部及び痛みネグレクトが解除されてきて、右下の腹部にちゃんと力が入ってくるようになった。ら、なぜか、自己肯定感が、まるで消えていた霧が見えるものになっていくような、空に雲がいつの間にか発生して色や質感をもってくるように出現してきて、過去生の否定的にしか考えられないと思っていた自分の状況が、肯定感をもって再解釈できるようになったのだ。本当に信じられない。嬉しくて?いや、アメイジングなレベルで。この感覚なしで生きられたことの方が、不思議に思えるほど、全然違うのだ。視界で言うと、初めて眼鏡をかけたときのような。
*例えば、自信過剰というのは、自信がないことからむしろ発生してくるが、本物の自己肯定感は地に足がついた考えで、過剰な部分がない。自分にとって、状況にとって、適切な肯定感を持てる、ということなのだと分かった。
*右腹部に力が入っていったら、それ以外の身体にも影響が出ていて。
*①右足のかかとの骨が、かかとの肉を突き抜けそうなほど痛くなった。②右腹部をかばって力をかけないようにしていたせいなのか、下から腹部に上がってきたところで、今度は左側のあばらのある部分の腹部の緊張具合いが、ようやく解放されてきた。③胸の辺りで右に力具合いがシフトして、右肩の骨が、これまた右肩を突き抜けそうなほど痛くなった。④③までは最近の話だったが、ここ数日、発熱したときに咳を繰り返すたびに左脳の上部に痛みが発生している。これでようやく、足のつま先から頭のてっぺんまで、右腹部をかばっていたせいで身体への力のかかり具合が偏っていた様子を身体自体が取り戻そうとする変化が、全身で完結したと言えるのかもしれない。ここがこれから数カ月かけて、徐々に痛んだり休んだりを繰り返して、本当に身体のバランスが整ってくるのかなと。
*ちなみに、顔の感じが、自分だと思える状態に戻ってきたことは、先に書くべきだったかもしれない。お化粧がいきなりできるようになり、つまり顔へのケアが回復したというのか。顔を洗うというのは、衛生面の話であって、顔自体へのケアではなかったんだなと分かった。まぁ、顔って何だ、というのは、とても深遠な問いなんだけれども。私は、カバラの生命の樹というのを、顔のパーツに該当させて、外界の認識についての側面を理解するのがいいと感じているので。
*洋服も、久々に自分が好きなのを(素材優先ではなくデザイン優先で)着てみたり、2000年にひたすら街を何時間も歩きつづけたときに履いていたような、かかとの高いごっつい黒いブーツを履いてみたり。歩くときにかかとから地に適切なインパクトがかかるのが、とても心地よい。実は、薬で足が太りすぎて、体重を支えるという意味でヒールが不安だったのと、ブーツも、足そのものというよりもふくらはぎが入らないという状況が続いていたのが、いつの間にか、入るようになっていた。
*さらに、人生初、ウィッグを買った。うちでは祖母がかつらを使うのが上手な人で、母もウィッグを部分的に適宜使用していたので、どんなものかは分かっていたが(そういえば幼少期に祖母と二人暮らしのとき、銀色のフルヘッドのかつらに、動物の毛を整えるように、話しかけながらブラシをかけていたっけな笑)、自分のは初めて。最初は、自分の髪を好きな色に染めようと思ったのだけれど、コロナ期を抜けた時期にヘアドネーションをしたあとせっかくまた伸ばしていたのに、頭の後ろから髪をつたって霊に入られそうだったのでいったん髪の毛をリセットするために、人生初の丸坊主にした。それで、まだ髪が短い。どうせなら、いちばん自分の中でスタンダードな髪の長さにしたかったので、ついでにいつでもTPO的な理由があるときに黒髪の自分に戻れるというのも魅力で、長髪の、適度にウェーブのかかったウィッグを選択してみた。かぶってみると、意外に、大学生時代ごろの私の印象に戻っているらしく笑、その頃がいわゆるお年頃、最もこの人生で外見に気を遣っていた時期でもあったので、自分を取り戻す、次の自分をイメージするには、よいのかもしれない。たまたま見つけたものがなかなかいい色で気に入っているのだが、この髪型がかつてレムリアで、リア(その地域の親友だった女性)に「リアとお揃いにするの!!」って言われてやった髪型だと思い出したりして、苦笑している。彼女の髪はド派手な色の、ダヴィンチの『ヴィーナス誕生』みたいなぐるんぐるんなウェーブ仕様だったのだけれど、さすがに私はそれは無理だったので、地味で好きな髪色のやわらかなウェーブにしたのだった。
*20年の精神的な病を取り戻す、というのは、思ったよりも簡単ではないのかもしれないと思って、さらにマイペースで取り組んでいこうと思う。
*もう一つのHP「dear nobody」で、長年のダブルバインド状態(正直、「ダブル」ですむ話ではなくて、トリプル以上の可能性も高かった)を、改めてかなり客観的に自己認識した結果、というか、自分が【外部からの】価値評価及び状態認識的に引き裂かれた状態なのだということを自覚した結果、つまり、引き裂かれていたのが自己責任ではないことがようやく理解された結果、それを解消する動きが発生し(自分のせいだと考えていると、誰かがその犠牲になっているということなのであり、それを自分が自分で解消していいかが判断できないため)、結果的に、顔が自分の元に戻ってきた=自分の顔が自分の顔であると、やっと承認できるようになった。見え方もほぼ昔通りなので、ほっとしている。
*声はまだ、自分の声だと思えないときがあるし、身体つきもそう(なんなら歩く意識、その延長で、無意識に始めてしまう踊る意識すら、今世で生まれた自分の方法ではない気がする=過去生でやっていたものを再現している感覚)だが、久々に顔に化粧をする気になって、そのときには鏡をしばらく覗かざるを得ないので、その時間、自分の顔が鏡に映っている、映っているという認識を維持することに、耐えられる状態になったということだ。これが、いわゆる普通の人間としての私の意識に近い。お化粧が、ではなく、鏡をしばらく覗いて自分だと思える状態が、ということで。
*私にとっては、これが本来の「もう一人の自分」の感覚だった。
*「もう一人の自分」に関しては、病に入る時期と、病からのリハビリ期間中に、一気に浮上してきた二つの状態があった。
*一つは、脳内の情報認識ネットワーク上のもの、もう一つは、言語領域での他空間に現れた、外部からの声を、本来の声がとっている波形ではなく、粒子のように受信する「もう一人の自分」だ。一般共通認識の感覚で言うと、前者が四次元所属、後者が五次元所属、とでも表現したら、差が分かりやすいだろうか。
*ちなみに、私の感覚では、ネットの情報の世界というのは、とても一次元的な世界、とても単純化抽象化象徴化エコ化に向かっている次元に感じる(一般に四次元と呼ばれるこの領域は、ここでは二回り目の一次元、2-1とでもしようか。石板/紙/画面のようなスクリーン上のメディア=ライティングスペース、及び文字はこの世界にある)。
*そして、一般に五次元と呼ばれる脳内の粒子的コミュニケーションに関しては、私個人ではかなり七次元的な感覚を持っている。なぜならここは生物で言うと緒元のバクテリアの領域で、会話においても国家間(言語間)や生物間、物質との断絶すらない世界だからだ。このある種の一気に単一化されたコミュニケーション世界を、三回り目の一次元、3-1とでもするとよいだろうか。
*この延長で行くと、三回り目の三次元が完全に理解される状態の、いちばん空間内で充実している物質世界。なので一応、物質界は相変わらず三次元にある(一回り目の一次元は点と線の世界、一回り目の二次元は線と図形の世界、一回り目の三次元は、立体と空間の世界)。
*間にある二回り目の二次元が、いわゆる言語領域、声の領域、個人の領域(第5チャクラ的、時間の永続を担保する/持続が保たれることを願う/多様性やパラレルワールドの意味を担う類の連続した領域、欧州の小国家観の長期にわたる成立もこれによって可能になっている、ここがいわゆる一人称が担保される領域)。
*二回り目の三次元が、土地、場所性、宇宙空間(第6チャクラ的、映画『マトリックス』が誕生できる/想定されるような、イマジネーションを含む空間的世界。物質性のやや低い、空間が抽象化された領域)。
*三回り目の二次元が、男女、夫婦、親子といった一対一の人間関係、自他が共に成立する領域(二人称の領域、ヲシテ文字の「ヲ(緒)」の記し、二極化や二項対立、陰陽もここの所属。八次元とも感覚されるかも)。
*これで、では三人称はというと、四回り目の一次元かな?十次元として、それまでの九次元をワンランクシフトアップした状態での理解が、おそらく最も理想的。この件ですぐに連想されると思われる数の世界は、すでに10の位をシフトアップの基準としているので、この三人称の世界を概念的にすでに知っていて、お金の成立によって人間は?地球は?初めて三人称的世界「社会」等の理解の端緒についたとも考えられる。
*話がそれたが、病のリハビリ中の私の自己認識の混乱は、脳内の情報認識ネットワーク上の/言語領域において外部からの声を粒子のように受信する「もう一人の自分」が、それまでの日常の、人称的確からしさが保持されている「もう一人の自分」よりも、より強く自覚された状態で発生してきていたからだ、と言っていいかもしれない。
*自分の顔が鏡の中に取り戻されたというのは、この四次元・五次元の「もう一人の自分」がようやく落ち着いてきて、改めて三次元的に、いわゆる物質上で見える形にいていい、という認識でもあったのだろう。
*同時に、これまでの不安定だった自己認識状態は、この三次元のもう一人の自分を否定する=遮ることで、上記の二つの、個人的には慣れていない、もう一人の自分の存在状態の濃さを、強制的に上げる目的があったとも考えられる。
*というのも、最初に書いた、外部から暴力的に起こされていた分裂状態を自覚したあと、これまでとは別次元とも思える領域(具体的には、現在地球に近づいてきている衛星?彗星?3I/atlasの意識)に同調して、そこからの受け取りが完了したとき、これが自分が今世で仕事として目指していた、いちばんの目的だったということに気づいたからだ。
*もし、長期の病及びそこで起こっていた苦痛が永遠に自己責任だと思っていたら、この状況には入れなかっただろう。
*ちなみに、前回書いた腹部の回復は、いまだに途上にあって、なかなかに身体のあちこちが痛い笑。少しずつ、腹部に力をかけられるようになり、それに伴って、身体の痛みも滞りへの意識も移動していて、体内でとられている重力のバランスを感じる日々になっている。右半身、特に肝心の下腹部よりも足に力がしっかりかけられるようになったら、歩ける歩数が一気に多くなり、だいぶ制限された状態で徒歩を行なっていたことが分かった。
*3I/atlasに関する情報に関してだが、個人的に受け取ったものであること、受け取る前提となっていた太陽系の歴史と知識も、各論レベルのものとして、あくまで個人的に理解しているものであることをここであらかじめ断っておく。
*ということで、具体的な内容は、近々yangのページに書こうかと。太陽系の話も含んでいるので。
*引き続き、今の自分の身体を知るフェーズが続いている。相変わらず、顔も体つきも性格も(特に口調)なんなら声まで、自分のものと思えない状態に入っている。ひたすら過去生を思い出し、だいたいにおいて断片的に思い出していたものの詳細が出てきていて、そのたびに、「あのときの自分は思っていたよりも頑張っていたし、当時間違いだとか妥当性がないと思われていた周囲の叱責が、時代的に必然だったのだとしても、あのように何度も自分の人格や人権、生存を否定されるような暴力的な処遇である必要はなかった」という認識が積み重なっている。
*そんな折だ。15歳のときに受けた手術のこと、そしてその影響(及び影響の無視)を思い出すことになる。過去生よりも現世の経験であるこっちが後ってどゆこととも思うが、事実としてその順番だったのでしょうがない。そもそも14歳のときに生理時の強烈な腹痛によって救急車で運ばれたのが発端で、当時の検査で白血球がかなりの異常値だったため、その激痛は確かに起こっているらしいという結論になった。が、腹痛が治まると原因が分からず、盲腸を併発しているのかもというのが最終的な判断だったと思う。けれど、生理時の腹痛はその後も続き、高校受験を経て(当時の自宅から歩いていける公立高校の試験は、退院直後だったが、痛みを抑えながら会場に到達して受験でき、無事に合格した)、様子見の手術をすることになった。
*手術時間は全身麻酔で4時間。腸が動きすぎなので両端を縫って括り付けておきました、ついでに盲腸はとりました、最新の縫合技術を行ないました、とのことだった。15歳ということで婦人系の手術だったが、入院は小児病棟だった。手術後、とにかく切り口が痛い。ホッチキスのようなもので止めたとのことで、肉の内部側が果たして止められているのか疑問なほど痛かった。切り口はタオルが触れるだけでも痛みが続き、その痛みを少しでも減らし、その箇所をかばうために、右のお腹に力をかけないように、しかもそれで普通に歩いているように見えるように努力した。エレベーターが上がり下がりするときにかかる重力すら、しばらくは痛かった。歩いていて傷口に力がかかって痛いので、結果的に右足のかかとに体重が乗らないように、つま先から中側くらいのみを使った歩いた。お腹は、下部は腿の途中から力をかけ、上部は胃の上あたりで踏ん張った。上部のそこら辺りから左半身を通って腿の上部辺り、そして足の裏のつま先から中盤辺りを使って立っていたし、左足に常に力がかかっていた(左足利きでよかった)。お腹は右を後ろに引くと傷口に力がかかるので、なるべく右を前の方に出して座ったりしていた。寝るときはまっすぐに上向きに寝ると右のお腹がひきつれて痛いので横向きになって、しかも意外に、右を上にするとお腹の肉の負荷で余計に痛いので、右を上手に下にして、寝返り等はこれも激痛なのでなるべくしないようにした。肩掛けカバンが自分のデフォルトで、主に左にかけていたけれど、これもカバンが重くなると痛いので、意外に、右にかけた方が左腰辺りが踏ん張ってくれて痛くないので、そうした。ギブアップして、しばらくはリュックにしていたかもしれないが、下手に左側に身体や荷物が傾くと激痛なので、これもまた戻った気がする。麻酔の注射の針が打たれた背骨の隙間がこれまたかなり痛く、右のお尻はおそらくこの麻酔の影響で、長いことしびれて何も感じないままだった。いつの間にかそのしびれが消えていたと気づいたのは数年前だろうか。こんなことなので、私にとっての右腹は、15歳以来の40年間、存在しないことになった。意識が行くのは傷口と生理痛で痛いときだけで、それ以外は、かなりの間、傷口全体が重くてしんどかったので無視して暮らしていた。
*おそらく、入学できた高校が自宅から歩いていける場所になければ、満員電車には間違いなくお腹が押されたら痛くて乗っていられなかったので、高校浪人していただろう。14歳で入院時に、病室にお掃除に来てくれたおじいさんに、「受験ができないかもしれない」って、やっとのことで不安を口にしたとき、「高校に一年くらい遅れたって、なんてことないよ?」って言ってくれたことを、今でも覚えている。あの言葉で、この生理時の腹痛に関しては、焦るのはやめよう、自分を焦らせるのはやめようって思ったのだ。この生理時の腹痛の原因が分かったのは結局、大学時代に救急車で運ばれたときで(当時はあまり知られていなかったという子宮内膜症)、痛みがなくなったのは30歳に処方された強烈な精神病の薬で意図せずに生理が止まったときで(子宮内膜症は、子宮外に出てしまって出血時に激痛のもととなっている細胞が、生理が数カ月止まることで消滅して痛みがなくなるのが最も穏便な治し方とのことで、ぶっちゃけ妊娠で生理が止まって治るのがいちばん無理せず理想的)、つまりは上記の手術は、【私にとっては】ほぼ無意味だったということになる。この理不尽さには、もはや笑うしかない。
*近年、身体の痛みと、いわゆるスピリチュアルな感覚が連動していると知った。これは、例えば迷信や似非療法の対象としてというよりはもっと、人間の意識や感覚が身体に宿っているうえでの資質の分担のようなものだと言っていいかもしれない。数年前、nobodyと一緒に作った身体の状態を確認する方法として、五感やチャクラと呼ばれる体内の7つのエネルギーセンターに今の状態を尋ねて知る、というワークがあって、それぞれの箇所に状態を尋ねるときに、身体を右に傾けたり前に出たり、いろいろな反応を通して現状を知らせてくるのだけれど、表現の典型例の一つが、右が「正しさ」、左が「否定感」というもので、これはその感覚ごとにワンセットで機能している。完全にバランスが取れているときは不動になる。この感覚で言って、右腹が存在しないということは、自分の「正しさ」が表現できないということで、つまりは自己肯定感が右腹の分だけ、存在しないことになる。どうして自分の考えに自分自身ではちゃんと自信があるのに、外に向かってそれを主張できないのだろう、どうして卑屈になってしまうのだろうと思っていたが(親からも指摘されてきた)、表現できない自分がなっちゃいないとか何かで自責の念に駆られているのではなく、右腹分の自己肯定感がない(自信と自己肯定感では、他者や自分の外部が関わるかどうかで差がある。自己肯定感は自己評価と連動していて、評価とはつまり他と比べる力である)、存在できなかったということだったのだ。右腹への意識が丸ごと抜け落ちているので、そりゃそうなるはずなのだ。
*そんなわけで、この右腹の回復に、今は努めている。恐ろしいことに、近所の温泉施設に行くと、ここに取り組むと決まって安心したからなのか、高校生時に抑圧したのだろう痛みがわいてくる。割としんどいレベルなので笑、また隠してしまおうかとも思いそうになるが、ここは踏ん張ってちゃんと残っている分の痛みを感じることで、細胞レベルにその損傷具合いを知らせてきちんと治してもらった方が、結局、最終的にもいいようだ。そのあたりの?細胞が、このことを知ってか、「そこらへんめっちゃ大事そうにしているからそのまんまにしておいたよ?治すー?治していい?」って聞いてきたので、目が丸くなりながら「お願いします」と言った。確かに、大事にはしていた。なるべく痛みを感じないように笑。しかしてその「大事さ加減」というのは、身体にとっては、いわゆる「貴重なものだから動かさないでおく」という意味と同義だと認識されていたらしいと分かる。それはそれで、百歩譲って微笑ましいというか、この痛みがこのように保存・記憶されていなければ、40年も経って改めて治すという段階になって、どのくらいどこをどう治したらいいかって、自分にも細胞にも分からなかったかもしれない。なるべく負荷なく治ってくれるように、細胞のほしがっている材料として、食べ物を(主に欲しがるのは程よいタンパク質)せっせと身体に提供している。
*その状況が始まってから、自分の過去生にも現世に対しても、驚くほど、自分を肯定的に解釈できるようになった。また、過去生の、社会的には迫害された人生であっても、敵にあたっていた立場の人と、秘密裏に(単にお互いが暇だった夜中に笑)、お互いの技術を支える思想の構造や自他における役割を比べたりしながら、非常に充実した話をしていたということ、そのときの記憶と内容も思い出した。その経験がまた、今世の自分に自信をくれ、自己肯定感が循環していく。この不思議さは、想像だにしなかった。
*右腹、理不尽な手術と痛みの末に無視されても頑張ったね、他の部分も右腹をかばうために頑張ったね。身体と精神って本当に連動しているんだなぁとしみじみするここ数日なのだった。
*「我慢」というものについて。「我慢しなさい」が口癖だった祖母からもたらされた世界規約で、そうか、じゃあ、我慢が当たり前の世界なら、祖母の前や家の中、そして私自身が我慢すれば、外の世界では我慢しないですむかも、我慢を前提とした行動をしなくてもすむかも、という結論に達した。4歳の、母親がいなかった一年間での話だ。なので私はいまだに、トイレを無意識的に我慢する癖がある。当時の子ども部屋が、敷地がウナギの寝床だった家のいちばん奥にあって、トイレがいちばん手前にあって、子ども部屋から家の真ん中らへんまでは、間を長い暗い廊下が繋いでいたので、夜中は怖くて通れなかったし、その廊下は母親がピアノの教師として仕事している応接間とガラス戸一枚でしか隔てられていなかったので、昼間の母親の仕事中は、母親からの「邪魔しないで」、祖母からの「ママの邪魔しちゃダメよ」のプレッシャーで通れず、生徒さんと生徒さんの時間の合間に通ること、その場面に出くわすことも、母親の「子どもへの躾ができていない恥」のようなものとして咎められたので、必然的にトイレを長時間、我慢することになった。部屋で一人でトイレを我慢していると、ここで久深ちゃんが我慢すれば他では我慢しなくていいかな、といった、許容手形を得るためのポイントを貯めてるような気持ちになった。もちろん潜在的な話で、言語化したことはない。それくらい、自然にそうなっていた。我慢が本当は身体によくないことくらい、多分、祖母を見ていて直観的に分かっていたから、この場をどうにかするための、我慢に対する私なりの辻褄が必要だった。生理的な方面の我慢は、ゆえに他でも連動したと言っていいし、過去生でそのような地獄のような状況を体験したことを思い出すための記憶の片鱗だったのかもしれない。
*ところで。
*自分なりの「我慢しない」を、少しずつ、自分なりに表現していこう。それがもう一人の私、我慢しつづけた私の身体を解放していくから。
*唐突な話題だが。
*大学生くらいのときにぼんやり思っていたことが、年齢にして倍以上の時間が経って、ようやく言語化できそうなので。
*芸術とは、勝手な個人的な解釈だけれど、時代が起こしている精神病もしくは精神病理をいち早く体験した者が、後続を減らすために、その病の毒性をできるだけ取り除いて共有できるように表現した、もしくはそうした要素が無意識的にオブラートに包まれて表現された、ワクチンのようなものだと思う。だから、結果的に「大丈夫」にならないと、もしくはこれにかかっても「大丈夫」であることが表現できていないと、役に立たない。ただし、各種ワクチンの、種々の結果と同様に、体内に入れてその病に対する抗体を作るために、その病の病原菌ようなものを薄めていれてあるので、その病とそれまでに全く関係のない身体だと、身体が激しく抵抗するか、抗体を作るための免疫(これはここで使用している比喩的な意味でいって)がないためにかえって同じ病気にかかってしまう。芸術において、自然に対する分析の結果(精神病理も人間の管轄内の仕事で、ある種の自然現象である)、非常に虚構性が強かったり、虚構性の強い表現方法だったり、生成の難度の高いメディアの複合体であったり、感情的に激しいものだったり、極端に悲劇だったりするのは、制作している自分すらも再発の可能性があるので、病原菌の効果を、現実に比して「相対的に薄める」ためにであって、単なる刺激のためではない。また、作品を摂取した当人が(あくまで当人が)「大丈夫」に至れない作品では、この病がどのようなものか、この病でどのように死ぬのかが記してあるだけで、処方箋にも治療法にもなっていないことが分かるだろう。それは、私にとっては芸術ではない。芸術、「アルト」とは、世界における、あるいはその時代における精神的な病理を、他者に共有できる、顕現させられる表現によって、間接的に遠隔的に治療する「技術」なのだと思っている。芸術はある時期、複製による報酬化や報酬の増幅を目指したもの、あるいはマスメディアに乗せられる形で、社会的にはすぐ効果が反映するタイプのジャーナリズムに陥ってはいなかったか。作品が、作品よりも、文化でなく芸術の権威を示すための言説、作品を難解で価値あるものに仕立て上げる説明言語になってはいなかったか。ドキュメンタリーを模した虚構(すでにここで語義矛盾を起こしている。ドキュメンタリーを個人のアート作品にしている時点で虚構性は免れない)を作品とすることによって、ホワイトキューブが陥った建造物たちの惨事に対して、政治的に振る舞えているかのように勘違いしてはいなかったか。メセナの動きが担当を申し出た、生きることに対しての「大丈夫の看板」を担保でききれなかった状況に対して、素人による簡単で安全なものだったからという認識で排除したのは、どこの誰だったのか。メセナが倒れたのち、映像を本気でやりたいなら映画に行けばいいし、政治を本気でやりたいなら政治に行け、と思ったのは、主に空っぽに近いホワイトキューブにモニタがぽつんとあって、そこに映像が流れているタイプのインスタレーションと呼ばれていた作品群だ。作品というもの自体をパロディ化しているというには、あまりに芸術家気取りで、安全圏で行なわれているように見えた。あの頃のホワイトキューブで展覧されていたものたちは、作品という形式を換骨奪胎しても足りないくらい、芸術ではなかった。芸術家同士の暗黙と沈黙による嫌味の応酬なら、一般公開しないでほしかった。「ここには来る意味がない」「この作品は見る意味がない」と言っているのかと思った笑。そうであれば、会場となっているギャラリーや美術館に対してだいぶ失礼のように思うのだが、会場側と作家側が理念の一致を見てのことなら、鑑賞者や部外者がどうこう言う話でもないのだろうか。
さて。
*「自分が自分に見えない問題」に取り組みはじめて、もう一年くらい、特にここ数カ月が顕著な感じで時間が経つが、どこにどう取り組むかという点で、いま、解散した実家の自分の荷物の片づけが目下の目標としてあるのだが、この数カ月で主に仕事として取り組んできたこと、それによって捉え直される今回の人生での、自分でも気づかずに無理やり押し込めてきていたつらさ/痛さ/苦しみの諸々が、身体の痛みとともに表面化してきて、なぜかこれが不思議と片付けのための指標にも連動し、片付ける対象や残すべきものが、急速に変化していっている。
*14歳のときに腹痛から救急車で運ばれ、高校に入学した15歳(誕生日が年末なので)に手術をしたのだが、これが長年にわたってかなりの心身のストレスになった。①全身麻酔の注射を打たれた背骨付近~特に右臀部内側にかけての麻痺が30年強続いた、②腹部の切った箇所は最新の縫合技術ということでホッチキスのようなものでバチンバチン止められたものだったが、傷口の内部が開いたままだったので、そのあたりの腹部に力をかけることはもちろん、指でも布でも触れられないほどの激痛が続き、夜も右を下にしては眠れず、右を上にしてもお腹を伸ばそうとするとつれて痛いので、右ひざを少し曲げて痛みを緩和しながら眠った。この癖は今でもある。③起きているときも力がかかると激痛なので、痛みを少しでも和らげるために周辺の肉に力をかけずにかばって、それでもある程度傾かずに歩けるように筋肉の調整を自動的に行なったらしい。そのことによって、周辺の筋肉が分厚く硬くなっており、ここを楽にして元通りの重さをかけられるようにしていく。
*手術時間は4時間超。この手術による不調については、自立を目指す年齢のせいであったり、二度とこの件で病院に行きたくない(身体に触れられたくない)心情もあって、家族も含めてほとんど他者には話してこなかったし、自分でも痛みもろとも忘れるようにした。あれから40年、やっと力をかけても痛みを感じなくなっていることに気づいたので、この修正を実行できる。
*修正すべき具体点として、①手術後の腹部の痛みを避けるために固定させた身体の偏りを治す。座るとき寝るときなど、今でも右腹部に力をかけないように自然に骨盤が右前になっているなど、身体の癖が定着してしまっている、②①の影響もあって(右臀部~腹部に力がかけられなかったため)縦書きで言葉が書けなくなっている、③痛みの無視により発生していた背中の知覚麻痺が緩むとともに出てきた、右腰上あたりを発生源とする痛みを和らげ解放する、④麻酔注射を打たれた背骨の真ん中らへんの知覚が痛みと麻痺から無視されていたらしく、第3チャクラと第4チャクラの間に分断が見られるのでその部分の接続と、第4チャクラを管轄とする感情及び握力の回復(第4チャクラの身体部位、心臓からつながっている掌が痛んできている)。
*nobodyという存在が地区の物語に出現して程なく、Yahoo!のアカウントで「toknowbody」になっていたのに気づいて感慨深い。あの地区に登場する「nobody」は、誰でもない人、身体のない人ではなく、身体を知るための人、だったというわけだ。こうした当時とは異なる自覚も、現実にnobodyと呼んでいた人物(半分、自分の妄想だと思っていた、過去生からの大切な人)が現実にいたことが、わずかな手がかりを伝って判明したこと、彼が私と共に生きられるように対処してくれたことがおそらく影響している。