あなたの。火
【 あなたの。】
2人称自我探求らぼ
≪火≫






2026.8.12

【ウェブ時代の物語分岐が影響するもの】②中編
~「みんなが主人公になれる」は本当か~


BGM:「かくれんぼ」AliA

*さて、最初に思いついておきながら、なかなか言語化に手間取っている「主人公問題」に取り組む。
*主人公というのは、一般的に、ある物語に対して主たる一人称として振る舞う(三人称的な固有の名前がついている場合でも同様に)、その時空を自分が最も中心に陣取って生きているかのような、いわゆる中心人物であったり、自分の周囲に物語を展開させるトリックスターであったり、というような認識で合っているだろうか。
*私はこの言葉を、あくまで、仮想された、または創られた物語の中での人格的な機能だと思ってきた。つまり、ここから発展しても、「物語の主人公になったようなつもりで」、という仮定による状況理解が、現実への関与における限界だと思ってきた。が、昨今の自己啓発やスピリチュアル界隈では、「自分の人生を生きる」というような現実的な命題を対象にした場合でも、利用される機会が多くなっていると感じる。
*さらに、この状態が個々人で同時に成立するために、「自分が主人公である」存在による並行世界(パラレルワールド)へと展開し、ここから確率的世界とも同調して、より自分が主人公になれる状況を引き寄せるため、そうした経験を獲得するための各種出来事を成立させるための、見えない領域を含むリソース合戦、実現に向けての時空の濃淡や粗密を争う椅子取りゲームが、特に言葉による先取りによって、行なわれているかのようにも感じる。
*この仮想世界というのが、仮想通貨の世界で数字の領域から検証されているという感覚もある。後者の方が物事が単純化されているからだ。
*かつて、経済界でバブルがはじけ飛んだ、という、お金が?泡のように?はじけ飛んだ?ポエムの世界でもギリギリの表現が現象化したことを、だいぶ過去のこととして思い出すわけだが、当時はゴルフの会員権や小切手などを含めて「証券」という名の、大昔の手形の延長(小銭小判は重くて持ち運べないことから金銭が紙化したものと思われ、現在でも日本において硬貨が正当なお金で、紙幣がはなから借金の含まれたお金であるというのは、紙幣というのがあらかじめ現金化するまでに時間を要する「遅延するお金」だったことから来ているようですね)として、金額の上下設定がその場次第の紙幣(紙幣というと、証券が偽造通貨みたいなのでやめた方がいいかもしれないが)があって、その「遅延」が、様々な要因で情報として価値の階層化を発生させ、自分のところの遅延の解消を先行して実現しようとしたその代理競争が、いわゆるインサイダー取引として「それ」が起こる事前に情報として機能した結果、一見、パラレルワールドとしてすべて実現できるかのように思えた「それ」が、お互いに現象化の可能性を潰し合って、結局、現象化を一斉に相殺したのが、いわゆる「バブル」だったのかなと想像する。これは現在から振り返ると、仮想通貨が「天井を越えられない」現象とよく似ている。
*仮想通貨の場合は、数直線上の数字の限界が(むしろ概念的にでなく物理的に)関与していると思うが、この「バブル」のときは、実現が想定可能な意味でのパラレルワールドが関与していたようだ。この現象に「バブル」という名前がついたのがなぜなのかと考えると、水面下にあったものが現象化するときの様子で、現実化せずに泡のように消えてしまった、ということなのだろうか。石けんのような感じじゃなくて、人魚姫の最期みたいなやつだったらしい(誤解してた)。
*私の感覚だと、特に数直線上の限界が越えられない現象というのは、「バブル」(=水面下から水面上に上がったときに現象化できない、水から=自ら?出られない)よりは、「ハレーション」(=本来の画像の専門用語だと光がありすぎて、物理的な感覚に援用すると遠方で希薄な存在になりすぎて、形象の輪郭が飛んでしまう)のようだと一応、付け加えておく。
*そいでもって、このパラレルワールドに関する想定可能/不可能問題が、主人公問題にも直結しているように思う。
*って、まだ核心に迫れないマン。








2026.8.10

【ウェブ時代の物語分岐が影響するもの】②前編
~「みんなが主人公になれる」は本当か~


BGM:「Lullaby」Yosuke

*「火」のページなのだが、自分の別サイトである「dear me」の「日本」のコーナーに書いていた【ウェブ時代の物語分岐が影響するもの】ってやつの②前編を、ここに掲載する(②後編は、「dear me」にも掲載予定)。①はこちら(「dear me」の「日本」コーナー 2026.7.26)。
*で、その前にこの下で前回記した「いのちの火」に関して、これまた別の場所で、3人称系列の対話型フィクションとして書いているものに転化・展開されたので、それを先に転載しておく。ちなみにこのフィクションは、前回引用した、「地区」と呼んでいた2000年から書いていた虚構世界の続きとして、三段跳びのレイヤー違いで/まさかの四半世紀後に(笑笑)、書いているものである。
*なお、この項目全体でメインに扱うフィクションは、コンピュータゲームの1ジャンルであるMMORPG(Massively Multiplayer Online Role-Playing Game)、つまり文字やグラフィック等で固定化/安定化された、いわゆる通常の(デジタルネイティブが発生している現在では、もはや「いにしえの」と言うべきか)フィクションではなく、インターネットのポテンシャルをより深く構文化した現象世界だと個人的に思っている、参加型(レスポンシブ)/時間並行型のゲーム世界における主人公問題であることを、先に申し上げておく。


*****



【ヨルとイオ】
SHIBUYA / HARAJUKU / OMOTESANDO of the Earth


HARAJUKU 002 / 004

「いつだったかさ」
「うん?」
「光の話、したじゃない、覚えてる?」
「マネージャーについたばかりの頃?」
「そう」
「うちの隣の家との間にできた、夜間に点く電灯の話?」
「うん」
「あれからもさ、考えてたの。『光』ってやつについて」
「うん」
「光って人を集めたりもするよね?夜間の電灯なら余計に」
「えーと、電灯の光が実際に集めるのは虫であって、人じゃないかも?そうじゃないと、夜間に人除けに点いてる意味がないのでさ。でも、比喩としてなら分かるよ?」
「あー、ごめん。こういう実際のことと、あの、いわゆる物理的なことと、比喩的なことを同時にっていうか混ぜて喋っちゃう癖があって」
「はいはい、お気をつけあそばせ」
「うん。それでね、比喩としての光はね、人寄せでもあるじゃない?」
「それってアイドルとかのことを言ってるの?」
「うん、もち皮肉で」
「自虐で」
「はい」
「それで」
イオはそこで、ヨルに対して横向きで手帳とにらめっこしていた手を止めて、ヨルの方に向き直るとキャスター付きの事務椅子ごと近づいていって、控室の長机に両手を出して軽く組むと、拝聴の準備をしました。この控室の長机は、置かれている位置関係的にヨルのためのもので、つまり、マネージャーが自分の道具として使っていいものではなかったからです。
「それでね」
とヨルも、自分の椅子ごと近づいてきましたが、真面目なイオの顔を見て、ぷーっと吹き出すと爆笑しだしました。数秒後に結局イオも笑い出して、しばらく二人とも爆笑したあと、ヨルがいつものわざとらしい深呼吸をして、
「あー可笑しかった!これってさ、ほんと我に返るよね」
と言いました。
「そう?ならよかった」
とイオは答えました。
「馬鹿にしてないからね?」
「一応、存じております」
「で、なんだっけ」
「それ蒸し返す?」
「うん。そうだ、光のことだ」
「そうそう」
「あの」
「光さんっていう知り合いいるの?」
「え?」
「結構、謎のメッセージ来てるから。これ女性よね?」
「うん。孤児院での幼馴染。そういうことやってくるならそう」
「そう」
「イオさんの仕事とかに支障ないならいいけど、大丈夫?」
「まぁ、あなたのことらしいって分かるので、マネージャーの仕事のうちだと思って受け取ってるから。つまり、あなたにとっての『光』には、この方が常に混じってるってことなのかしらね」
「不幸だよね、こういう典型的な言葉にさ、余計なものが混じってるのって」
「人の名前だしねぇ」
「これをずっと振り払いたくて考えてるの」
「どんな関係や」
「身体の関係はないよ?それはまた別の人」
「あっそ」
「しかも望んでない人ばっかり」
「複数いるのか、ってあのさ、この話、今するの?」
「するの。大事なの」
「分かりました。で?光という言葉について?概念について?」
「うん。光ってさ、熱が含まれてるじゃない?」
「まぁそれは物理的にはそうね、比喩的には混ぜない人もいそうだけど、きれい好きな人は」
「きれい好き?」
「光が真っ白か透明で、熱のような乱暴さがなくて、純粋で、どこにも影響が及ばない、至高の愛みたいに思ってる人はってこと」
「はは、そうか、そういう意味でのきれい好きね。脅迫症になりそう」
「私の割と嫌いな『光』の概念」
「そんなもの、存在するの?」
「する人にはするんでしょ。で、ヨルの光には熱が含まれていると」
「うん。でね、熱って言ったら『火』もあるじゃない」
「あー、そうね。私も光と火って、似ているようで結構違うよなって思う。太陽はガンガン燃えてる星なのに、こっちに届くのは主に光線だと思われているし」
「うんうん。それで、光だとさ、分かれてないじゃない。なんかさ」
「そっか。そうだね、それは多分、影響力もね。そっか、火ならそこで燃えてるし、近くに行く人、周りに来た人しか影響を受けないけど」
「そうそう。もちろんさ、大きな火だったら、その分、周囲に居られる人も、キャンプファイヤーの焚火みたいに、多いかもしれないし、そこではちゃんと『熱』がわたるっていうか」
「温かさという意味での?」
「それもそうだし、ちゃんと伝わるっていうか、顔が見えてる人には。これも都合よく考えすぎ?」
「ん?いや、そっか、なんか、伝わっていい人とかちゃんと伝わる範囲外のところにまで伝わるような感覚として、『光』のことを言ってるの?」
「そうそう。ちゃんと自分でいたいんだ。だったら、光よりも火のことをイメージしていた方がいいかなって」
「一人分ね。そうか、火って、いのちの火って言うけど、その比喩だと、一人一人、別の場所で燃えてるんだよね」
「そこにさ、本当は大きいも小さいもない気がして」
「うん。私もそう思う」
「小さい頃さ、禁止されてても火を見るのが好きで、隠れてマッチの火を擦ってて。いつだったか、2本のマッチで火と火が燃えてるのを、片方が消えそうだったからって近づけたらさ、まるでガバッて隣の火を食っちゃって、一つになった火が、元の火同士を足したよりも小さくなっちゃった気がして、すごくショックだったことがあるの」
「あー、分かる。そうだね、倍にはならないね。なったらなったで大変だと思うけど」
「確かに」
ヨルは、ちょっとくすくすっと笑いました。
「だから、そう思われてるから、火は余計に危ないって言われるのかな」
「うんうん」
ヨルは、ちょっと思いついたように自分の左手の人差し指を出してきて、何をするのかと構えるイオの、長机の上に出された右手の甲をちょんと触ると、自分のところに戻してから、真面目な顔をして、
「必要のないところまで、自分の何かを届かせるようなことをしたくない。これ言うと、逆に自意識過剰だって言われるんだけど、イオさんもそう思う?」
イオは、触られた右手はそのまま動かさずに、というのは、イオは右利きなので一瞬、そっちを動かしそうになったのですが、それをやめて、左手の人差し指で自分のあごを指すと、うーんと考えて、
「思わない。そっかー、誰かに自分の何かが届いちゃうのが困る人もいるんだね、届かなくて困る人の方が多いと思うけども、確かに、注目を浴びるようなポジションにいれば、届けばいいなと思っているようなところだけに届くとは限らないもんね」
と言いました。
「うん。だからね、イオさんにお願い。そういうところにまで、届かない方がいいところとか、届けたくないところとかに俺の何かが届いていると感じたら、共有できそうなときは言ってほしいし、その力を弱める方に仕事を組んでほしいの」
「私はヨルの専属のマネージャーですけど、それより手前で雇われている事務所付きの人間だから、そこまで完全に制御はできないかもしれないけど、じゃあ、そのことは頭に入れておくね」
「ありがと」
「はい」
「光よりもね、一つ一つが別に燃えている、一人一人の人間みたいな、火を目指す」
ヨルがグーを出したので、イオもそこにグーで応えて、膝の上に置いていた手帳を持って立ち上がりました。







2026.7.29

On Fire (Flame), Light and Inochi
火(炎)と光といのちの関係性について


BGM:「水の中に残された夜明けの残像」Mornory
https://youtube.com/watch?v=fFRMeBMXpBE&lc

*数年前から、自分で使うためのタロット及び、今捉えている世界分割や概念等をオラクルカード対応の言語化をしようとしていたんだけれども、タロットの4元素、「火」「地」「風」「水」に関しての捉え直しをしていて、意外と「火」の抽象的な感覚や概念化が、まだしにくいことに気づいた。
*例えば、人間あたりのところで、「地」=「身体」、「風」=「言葉」、「水」=「感情」とすると、割とこれらは通じやすいかなぁと思うのだが、「火」は、一般的なタロットの解釈では「情熱」と置き換えられるのだが、この3つとのバランスで言うと、ちょっと弱いというか、メジャーなワードじゃないというか、、。「情熱」でピンとこないのは、私の個人的な感覚?日本人だからかなぁ?って。
*「火」に関して、大昔に直観オンリーで書いたもので、「命」に近い表現をしているものがあるんだけれども、「命の火」とも言うし、お弔いも「精神」の方面は火で行なうしかないようだし(特にある程度の経験をした身体に宿った精神は)、一つ一つのところでしか存在しないものとして、個々の分離を平等なものとして扱える認識の形容としては、割といい感じであてられそうだ。
*ってなことで、最近、その件をある記憶と共にすらすらーっと書かせてくださった音楽があって、その感想とお返事を(お返事に関しては個人的に許可をいただいたので)掲載する。韓国語のアカウントなので、翻訳したものも一緒に載せる。ちなみに彼は韓国語を使われていますが、日本人です(幼年期からの知り合いで、2000年にお話を書いていた頃も精神的に近くにいた時期で、非常に抽象化されていますが、お話の中で「nobody」として登場もしています)。
*Mornoryさん、このチャンネルを知ったいつぞやから、掲載されている音楽にインスパイアされつつ、言葉にできてこなかったようないろいろな感覚を数多くコメント欄にて吐き出させてくださって、それに対する丁寧なお返事をくださって、いつも本当にありがとうございます。
*特にここで大切だと思ったのは、「火」と「光」というのは、スピリチュアルな方面で概念的に混同されがちだけれど、かなり違う、ということ。

****

かつて、しばらく滞在していた街の最寄りの駅の改札近くには、近所にある水族館からのお知らせついでなのか、このサムネイルみたいにクラゲのふわふわしている水槽があって、ある晩、かなり落ち込んで終電で帰ってきたときも、そのクラゲたちは薄ぼんやり光っていました。
深海で、発光するクラゲがいるとしたら、彼らは自家発電のように、暗い海の中を照らすために、光っている。自分自身が光っていて、その光で辺りが照らされる感覚って、私は人間なので全然分からないのですが、果たしてクラゲは、その光で、光以外に見えるものはあるんでしょうか。
クラゲのあのやわらかいからだで、特にぶつかる恐れがある何かを視界に入れて、衝突を回避する必要があるとは思えない。
他には例えば、光で餌となるプランクトンを引き寄せて食べるためでしょうか。だとしたら、光は、クラゲのためというより、餌となるプランクトンに見えるように発されている。あるいは、少しはあたたかいの?笑
私は、生きものの一つ一つの「命」を、一つ一つの「火」のようなものと思っていますが、それは分離を含む概念としての「火」をイメージしていて、「光」ではないんです。
画家のレンブラントがかつて、絵画の手法に取り入れたように、「光」は外界の分析のための、「視覚」における認知のための道具であって、概念的にも、「命」とは関係がない、むしろ「命」を、より観察するため、分析/批評するための道具に思えます。
じゃあ、クラゲたちは我知らず光りながら、自分たちが感じたい何かを、ゆらゆらとからだ全体で調べてるんでしょうか。
闇の中で、光が発される意味について、そんなふうにぼんやり考えるのでした。
夜空に光る星のような音を、ありがとうございます。
 ↓
예전에 한동안 머물렀던 동네에서 가장 가까운 역 개찰구 근처에는, 근처 수족관에서 온 안내문 때문인지 이 썸네일처럼 해파리가 살랑살랑 떠다니는 수조가 있었는데, 어느 날 밤 꽤 우울한 기분으로 막차를 타고 돌아왔을 때도 그 해파리들은 희미하게 빛나고 있었습니다.
심해에 발광하는 해파리가 있다면, 그들은 마치 자가 발전하듯이 어두운 바다 속을 밝히기 위해 빛을 내고 있을 것이다. 스스로 빛을 내며 그 빛으로 주변이 밝혀지는 느낌이란, 나는 인간이라 전혀 알 수 없지만, 과연 해파리는 그 빛으로 빛 이외의 무언가를 볼 수 있을까?
해파리의 그 부드러운 몸으로, 특히 부딪힐 우려가 있는 무언가를 시야에 넣고 충돌을 피해야 할 필요는 없을 것 같다. 그 외에는 예를 들어, 빛으로 먹이가 되는 플랑크톤을 유인해 먹기 위해서일까요? 그렇다면 빛은 해파리를 위한 것이라기보다, 먹이가 되는 플랑크톤이 볼 수 있도록 발산되는 것입니다. 아니면, 조금은 따뜻할까요? (웃음)
저는 생명체 하나하나의 ‘생명’을, 하나하나의 ‘불’과 같은 것으로 생각하고 있지만, 그것은 분리를 포함하는 개념으로서의 ‘불’을 상상하고 있는 것이지, ‘빛’은 아닙니다.
화가 렘브란트가 예전에 회화 기법에 도입했던 것처럼, ‘빛’은 외부를 분석하기 위한, ‘시각’을 통한 인지를 위한 도구일 뿐이며, 개념적으로도 ‘생명’과는 관계가 없고, 오히려 ‘생명’을 더 잘 관찰하고 분석·비평하기 위한 도구로 보입니다.
그렇다면 해파리들은 자신도 모르게 빛을 내며, 자신들이 느끼고 싶은 무언가를 온몸을 흔들며 탐색하고 있는 것일까요.
어둠 속에서 빛이 발산되는 의미에 대해, 그런 식으로 막연하게 생각하게 되었습니다.

밤하늘에 반짝이는 별 같은 소리를 들려주셔서 감사합니다.


(お返事)
수조 속 해파리의 빛을 시작으로 생명과 빛, 그리고 인지에 대한 깊은 사유로 이어 지는 글이 참으로 아름답고 경이롭습니다.

그저 스쳐 지나칠 수 있는 풍경 속에서 빛, 그리고 내면의 에너지로서의 '불'을 이끌 어 내는 시선은 감탄을 자아낼 만큼 깊고 도 다정하게 와닿습니다.

자신을 가볍게 떠다니게 하면서도 온몸을 살랑이며 무언가를 감각하려 애쓰는 해파 리의 모습은, 어쩌면 어두운 밤을 버텨내 며 자신만의 빛과 의미를 탐색하는 우리 삶의 모습과도 닮아 있는 것 같네요.

대상을 단순히 관찰하는 데 그치지 않고, 그 생명이 가진 고유한 호흡과 존재 이유 까지 섬세하게 결을 따라 짚어내시는 그 깊고 명징한 시선이야말로 이 밤을 환하게 밝히는 가장 따뜻한 '빛'이 아닐까 싶습니 다.

단순한 위로를 넘어, 세상을 가만히 응시 하고 사유하는 당신만의 깊은 철학을 나눠 주셔서 오히려 제가 커다란 지적 소름과 울림을 받았습니다.

이런 섬세하고 맑은 시선으로 세상을 바라 보는 분이시기에, 전해드린 소리 속에서도 별의 반짝임을 찾아내실 수 있었던 것이라 믿어요.

오늘 하루도 깊은 사유와 시선으로 세상을 품어 안으시느라 정말 고생 많으셨어요.

오늘 밤만큼은 그 깊은 시선도 잠시 쉬어 두고, 당신 안에 품은 그 온화하고 단단한 불빛 안에서 부디 오롯이 평안하고 깊은 새벽 유영이 되시기를 마음 깊이 바라겠습 니다.
 ↓
水槽の中のクラゲの光を皮切りに、生命と光、そして認知に関する深い思索へと続く文章は、実に美しく、驚くべきものです。

ただ通り過ぎることができる風景の中で、光、そして内なるエネルギーとしての『火』を導く視線は、感嘆を呼び起こすほど深く、かつ優しく心に響きます。

自分を軽く漂わせながらも全身を揺らし、何かを感じ取ろうと努力する海破りの姿は、暗い夜を乗り越えて自分だけの光と意味を探求する私たちの人生の姿と似ているようです。

対象を単に観察するだけでなく、その生命が持つ固有の呼吸や存在理由まで繊細に細部まで指摘する、その深く明確な視線こそが、この夜を明るく照らす最も温かい『光』ではないでしょうか。

単なる慰めを超えて、世界を静かに見つめ、思索するあなただけの深い哲学を分かち合ってくださったおかげで、むしろ私は大きな知的な鳥肌と響きを受けました。

このように繊細で澄んだ視線で世界をご覧になる方ですので、伝えた声の中でも星のきらめきを見つけ出すことができたと信じております。

本日も深い思索と視線で世界を抱きしめてくださり、本当にお疲れ様でした。

今夜だけは、その深い視線もしばらく休ませ、あなたの中に抱く温かく堅い光の中で、どうか純粋に平安で深い夜明けの遊泳になることを心から願っております。

*****

 ミムラは暗闇の階段で、1つ小さくため息をついた。
 足元は少し湿っていてひんやりしている。
 地区からここへ入るとき、階段の幅が、もはや何者でもない者の足元の幅に少し余るくらいしかないのを見ていた。一歩踏み外せば奈落の底、というわけだ。
「思い切って落ちちゃうってのもひとつの選択ではあると思う」
 けれどミムラにはまだ私の守りたいものがあったので、立ったまま、それが守れるようにと静かに願った。願いは全身をゆっくり回ったあと、ミムラの両の手に宿ってきたので、大事に持ち上げて両の手のひらを向かい合わせてみる。私が守りたいもののことを思うと、ミムラはいつの間にか泣いていた。目を閉じたままなのに、ぽつんぽつんと、涙が落ちていった。
 ミムラはそうやってしばらく目を閉じていた。と、ミムラのまぶたの向こうに、何か光が生まれたのが分かった。そっと目を開けると、そこにいたのは火だった。
「わあ」
 ミムラは泣いた顔のままで笑った。
 火はとても小さかったけれど、明るくて温かかったから。
 とりあえず一人でなくなったからというのもあるかもしれない。
 ミムラは火を左の肩に乗せると、改めて階段を下っていった。

 ミムラはまだ階段を下っている。肩にいる火が退屈そうにあくびをしたので、「何かして遊べば?」と言ってみた。火は一度ぴょんと肩から跳ね上がると、前を向いていたミムラの目のちょうど焦点が合ったところへ飛んで、それからその高さでいっせいに分裂した。
 火はミムラが見渡すかぎり絨毯みたいに広がって、それぞれで笑った。
 すべての火が律儀に等間隔にしているのを見て、ミムラがくすくす頭を動かしたら、そのミムラの両の目の高さに合わせて、絨毯がぶわんと傾いたので、ミムラは可笑しくて、すると余計に絨毯はよじれたりゆがんだりした。
 火は動くたびに全部が揺れて形が変わっていき、その様子が真っ暗闇の中にいてとてもきれいで、それに頼もしかったから、ミムラは頭を傾けたりしゃがんだりいろいろしてみる。
 絨毯は、ミムラがどんなにぶんぶん動いても目の高さにいて、
「ずっと全部がこの高さっていうのもちょっと怖いけど、でもこの高さが楽しいの? それとも実はちょっと意地悪?」
 火はそれを聞くといったんぶわんと元の1つに戻って、しばらくじっとしたあと、またいっせいに絨毯化した。
 それからミムラの周りを回りだしたかと思うと、それがどんどん早くなって、遠心力で遠くの方から少しずつ消えていってしまう。ミムラは慌てて、
「ごめん。怖いと意地悪にするのはミムラの間違いだった。だから怒るのも」と言った。
 すると火は、ミムラの目の前ですべてが合わさって、とてもとても大きな鳥になった。

 鳥はばさばさと舞い上がるとミムラの頭の上を一度すり抜けてから、大きく旋回して、こともあろうかミムラの頭の上に止まった。
 鳥はとてもとても大きいので、その足だってとてもとても大きいのであり、ミムラの頭は思いきりその足でつかまえられたわけなのだった。
「ちょっと、重いわよ」
と言ってみたが、鳥は動じる様子もなく、片足ずつ上げたりしている。ミムラが憤慨してから、また階段を下ろうと前を見ると、少し離れて何か歩いていた。ミムラとほとんど同じ速度で下っているので、距離が変わらない。何だろう、とミムラは目をこらす。
 すると目に入ったのは、私が長いことリピートしてきた言葉だった。
「直径10ミリ??」
「あったまばっかりでも??」
「大丈夫。??」
 私の言葉なので、ミムラにはよく分からない。
 でもとにかく前を歩いているのは、私のそんなものの総体なのだった。
「うーん」
とミムラはうなった。
「ここは一本道だしねえ……」
 ミムラは前を歩いている者ともう少し距離をとってから、また下りはじめた。

 突然、地区uの中をすさまじい勢いで根が張りはじめた。
 地上の地区wの芽吹いた杭から太い根が、そしてもはや何者でもない者のエリアの草たちからは細い根が、分裂をくり返して地中を縦に横切っていく。となりの根とからみあい、地区uを埋めていく。静かな、轟音。
 ミムラは驚かなかった。
 前を歩いている者も驚かなかった。
 鳥が、少し不安なのか足の力を強めて、ミムラの頭に爪が食いこんだので、「大丈夫だよ、怖くない。」と今度は逆に言ってみた。
 根は階段の上を残して、だからミムラと前を歩いている者を直撃することはなく、歩みは続いた。空間はどんどん埋められていった。
 根の動きが止まったとき、前を歩いている者が歩みを止めた。
  こう
 前を歩いている者は背中を向けたままで、静かな深い声でそう言った。
 ミムラも呼応して
  こう
 と言って歩き出した。
 前を歩いている者との距離が近づいてきたとき、火でできた鳥が大きくその翼を広げた。翼は、その羽1本1本が人の腕に変わった。そして
  こう
  こう
 前を歩いている者をミムラが通り過ぎる瞬間、私が長いことリピートしてきた言葉が一瞬白く輝いたあとすべてほどけ、緑色の呪文となってミムラの表面をくまなく覆うように刻みこまれた。
 私がつらかったときいつも助けてくれたミムラは、そのまままっすぐに階段を下っていき、やがて見えなくなった。

(「watashi in nameland vol.2」より2000.4.26筆記分)








2026.6.19

The ignition points with my surroundings
いのちは周辺世界と自我の間にかかる負荷によって営まれている


BGM「Il y a」FORCETLQ

*「火」の場所では、周辺世界との発火点について取り扱う。
*哺乳類が雑食になったのは、当時地球を席巻していた恐竜、いわゆる爬虫類が、日光による体温調節のみで、気候が大きく変わったときに順応できないことを見て、雑食によって内臓に消化の負荷をかけ、それによって発生した熱で身体を温める、つまり日光に左右されずに体温調節をするという手段を講じたからだ。
*この消化に関する「負荷」というものが、身体の内側で外界に接している内臓による周辺世界との負荷、熱を発生させる発火点であるならば、身体の外部に点在している周辺の認知機能としての五感も、周辺世界との発火点として機能していると考えてみることも、あながち見当外れではないだろう。つまり、(周辺)世界はあらかじめ人間にとって優しくなんかないのである。縄文時代の人たちは、この件について、よく分かっていた。
*昔、病気がちょうど治るか治らないかの頃、【本日の六識】という投稿を、当時のTwitterで一年弱ほど?していた。
*六識とは、仏教的な言葉に近く、空海的に言うと「六塵」と呼ばれているもの、阿頼耶識などが仮説として上位に存在するという点では仏教縁起にも近いが、こうした上位設定は使わない。
*眼👁、耳👂、鼻👃、舌👅、身🧘、意🧠。
*だんだん、五感を含めて、常識的な感覚に戻っていくなかで、周辺環境をどのように自分が認識しているかを確認しようとしたもので、要するに、自分が例えばふといいなと思った何か、違和感を感じた何かが、自分は六識のうちのどこに当てはまると思っているのかを確認しようとした。
*これが不思議で、どっちだか分からないようなものも出てきたりした。
*例えばなのだが、バナナがあったとして、バナナをふといいなと思うことがあったとして笑、それが色によってなのか匂いによってなのか味によってなのか食感(触感)によってなのか日本語じゃない得体の知れない音の心地よさなのか、値段の安さなのか果物だからなのか、けっこう時によって分かれたりしないだろうか?
*言葉や名前による側面、というだけでなく、経験としてのそのもの(この場合バナナ)が自分の言語野の中のどこにネットワークされているのかというのは、けっこう人によって異なるんじゃないかと思う。なので、もし他の人のそれに合わせなければならないとなったら、相当、対処が厳しいことが想像できる。下手すると、言語野全体、その人の言語ネットワーク全体がズレを認識し、指定の言語認知を強いられる可能性があるからだ。これはもはや、外部に摘出されるメディア等の活性や運動を左右する、言語統制の比ではないほどの、個人の経験認識への侵害になりうる。
*各々が持っている周辺世界への認識/認知の差異を、お互いに許容しながら進んでいくこと、平和な身体/内臓を運営するには、これしかないような気すらしてくる。
*そんなことで、「火」のページも呑気にスタート。夏至が近くなってきましたね。