≪火≫
BGM「Il y a」FORCETLQ
*「火」の場所では、周辺世界との発火点について取り扱う。
*哺乳類が雑食になったのは、当時地球を席巻していた恐竜、いわゆる爬虫類が、日光による体温調節のみで、気候が大きく変わったときに順応できないことを見て、雑食によって内臓に消化の負荷をかけ、それによって発生した熱で身体を温める、つまり日光に左右されずに体温調節をするという手段を講じたからだ。
*この消化に関する「負荷」というものが、身体の内側で外界に接している内臓による周辺世界との負荷、熱を発生させる発火点であるならば、身体の外部に点在している周辺の認知機能としての五感も、周辺世界との発火点として機能していると考えてみることも、あながち見当外れではないだろう。つまり、(周辺)世界はあらかじめ人間にとって優しくなんかないのである。縄文時代の人たちは、この件について、よく分かっていた。
*昔、病気がちょうど治るか治らないかの頃、【本日の六識】という投稿を、当時のTwitterで一年弱ほど?していた。
*六識とは、仏教的な言葉に近く、空海的に言うと「六塵」と呼ばれているもの、阿頼耶識などが仮説として上位に存在するという点では仏教縁起にも近いが、こうした上位設定は使わない。
*眼👁、耳👂、鼻👃、舌👅、身🧘、意🧠。
*だんだん、五感を含めて、常識的な感覚に戻っていくなかで、周辺環境をどのように自分が認識しているかを確認しようとしたもので、要するに、自分が例えばふといいなと思った何か、違和感を感じた何かが、自分は六識のうちのどこに当てはまると思っているのかを確認しようとした。
*これが不思議で、どっちだか分からないようなものも出てきたりした。
*例えばなのだが、バナナがあったとして、バナナをふといいなと思うことがあったとして笑、それが色によってなのか匂いによってなのか味によってなのか食感(触感)によってなのか日本語じゃない得体の知れない音の心地よさなのか、値段の安さなのか果物だからなのか、けっこう時によって分かれたりしないだろうか?
*言葉や名前による側面、というだけでなく、経験としてのそのもの(この場合バナナ)が自分の言語野の中のどこにネットワークされているのかというのは、けっこう人によって異なるんじゃないかと思う。なので、もし他の人のそれに合わせなければならないとなったら、相当、対処が厳しいことが想像できる。下手すると、言語野全体、その人の言語ネットワーク全体がズレを認識し、指定の言語認知を強いられる可能性があるからだ。これはもはや、外部に摘出されるメディア等の活性や運動を左右する、言語統制の比ではないほどの、個人の経験認識への侵害になりうる。
*各々が持っている周辺世界への認識/認知の差異を、お互いに許容しながら進んでいくこと、平和な身体/内臓を運営するには、これしかないような気すらしてくる。
*そんなことで、「火」のページも呑気にスタート。夏至が近くなってきましたね。